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こころの健康に参考になる本の紹介 カウマンの本棚⑮
「死が怖い人へ」
久坂部 羊 著
SB新書(25.2.15発行 本体950円)
著者は、作家であり医師でもある方で、いろいろな
角度から死について考察しています。結論は帯にある
ように「直視すれば、乗り越えられる」とのことで
す。
「私は今、死を怖いとは思わない。死ぬのはいやだけ
ど、怖くはない」といいます。
子どものころは死ぬのが怖かったが、医者という仕
事で、少なくない死を看取ってきたからだそうです。
なぜ、死が怖いのか、その理由をいろいろ考え、内
容をていねいに考察しています。⓵未来に対する恐
怖。②自分が消滅してしまうことの恐怖。③楽しみや
喜びがなくなることの恐怖。④大切な人などとの死別
の恐怖。⑤肉体的な苦痛に対する恐怖。⑥人生が未完
成に終わる恐怖。⑦宗教的な恐怖。⑧本能的な恐怖。
死が怖い人はどれかに該当すると思いますが、死の恐
怖が高じて日常生活に差し障るようになると、精神疾
患と見なされて治療が必要となる。これを「死恐怖
症」というのだそうです。
では、どうしたらいいのか。
普段から死ぬことなど意識していたら気分が暗くなる、頑張る気が失せる、希望が持てないなどと言う人がいるが、それは初歩的な段階で、それを乗り越えると、未だ死に直面していない今の貴重さが実感でき、普通の今が極めて幸せなのだと感じられるようになる。
「死」を「死」と認めてはじめて、望ましい死の迎え方に考えが進む。あいまいにぼやかしている限り、正体は見えない。正体が見えてくると、案外、恐怖や不安は薄れるものだ。直視すればするほど慣れてきて、最後はなんとも感じなくなる。 怖さや不安の克服は、案ずるより生むが易しである。
というのですが、いかがでしょうか。
以下は、私の気づきです。
〇 外科医として多くの癌患者さんを看取っていた時(感じたことは)、死を忌避する思いの強さが、患者さんによって一定でなかったことだ。死を恐れ、忌み嫌う気持ちの強い人もいれば、さほど死を拒絶せず、比較的泰然と最後を迎える人もいた。それは、年齢や家族関係にかかわらず、その人の持って生まれた資質のように思えた。
つまり、死に対する心理的距離感が人によって異なるということだ。距離感の遠い人ほど死を怖がり、近い人ほど死を恐れないような気がする。何によってそれが決まるのかはわからない。(p87)
〇 (自殺をうつのせいにする欺瞞)人が自殺するのは、先に述べた死に対する心理的な距離感の影響の方が大きいのではないかと思う。
死に対する心理的な距離感の近い人は死を恐れないし、ほかの人では考えられないようなきっかけで死に引き寄せられる。また、命の危険がある病気になっても、さほど恐れず受け入れる。
好ましい情況とは言えないかもしれないが、死が怖くてたまらない人には、ある種、うらやましい心性かもしれない。(p89)
〇 ラテン語の成句「メメント・モリ」=死を忘れるな。今では絵本やオンラインゲームのタイトルにもなるほどだが、私は高校生の頃からこの言葉が好きで、しょっちゅう思い出しては楽しんでいた。死を直視せず目をそむけていると、ずっと恐ろしく不吉なままだが、逆に直接すればするほど恐怖や忌避感は薄れる。それなのに、日本では死から目を逸らし、死のことを忘れていよう、死などなかったことにしようという傾向が強い。
ところが後年、「メメント・モリ」にはもうひとつの意味というか、後句があることを知った。それは、「今を楽しめ」だ。我々はいつかは死ぬ、だから飲んで、食べて、陽気になって、今を楽しめということらしい。(p161)
〇 死ぬのはイヤだけど、永遠に生きるのも苦しい。であれば適当な時に消えてなくなるのがいい。適当な時とはいつか。それは人によるだろう。その人がもういい、これで充分と思えたときが望ましい死に時ということになる。
いつ満足するかは、欲の深さ、期待の大きさ、執着の強さによる。それが残っているうちは、まだ死ねないと思うだろうが、死は人間の思惑などいっさい顧みずに訪れる。
だったら、幸せな最期を迎えるためには、できるだけ欲を少なく、期待を小さく、執着を弱くしておいたほうがいい。
つまりは「小欲知足」「現状肯定」ということだ。(p220)
